2023.04.10

上谷上農村歌舞伎舞台保存会

中西 宏さん

山田町上谷上にある「上谷上農村歌舞伎舞台」は、1863年築、茅葺き屋根の県指定文化財。天満神社境内にあるこの舞台が、上谷上集落のみなさんによって大切に守り伝えられてきました。生まれも育ちも上谷上という中西さんは、3年前にこの保存会の代表となりました。

―中西さんは子ども時代からこの農村歌舞伎舞台を見続けてきましたか。

いえいえ、子どもの頃は、ただここに建物があるなというくらいの認識で。その前が境内になってますでしょ。そこによく集まって遊んでいたなという記憶はあります。地域の夏祭り、秋祭りもこの境内を使いますから、祭りの時期にはこのあたりの人たちみんなが集まっていたように思います。

―農村歌舞伎舞台というよりも、集落の中心にある天満神社の印象がまずは強い。

そうです。六條八幡宮に神輿がありますけど、その神輿を担ぐ練習なんかもこの広場でやってました。神輿を担ぐ練習用の棒だけは、今も農村歌舞伎舞台の上に置いてあります。

 

この担ぎ棒の上に俵などの重いものを乗せて、神輿の練習をするという。

 

農村歌舞伎舞台のことでいえば、昭和30年代くらいに地域の青年団が買芝居といって劇団を連れてきていて、その公演前にのど自慢をやったりするのを家族でゴザ敷いて見物してたこと。それもなんとなく記憶にあります。

―この場所への思い入れはあっても、そこまで歌舞伎に熱心というわけではなく。

申しわけないですけど、実はそうなんです。これまで歌舞伎への興味はそんなになくて。ただ、保存会の代表となってこの舞台のことを知るにつれて、どんどん歌舞伎への興味も湧いてきました。

―何かキッカケがありましたか。

舞台に仕舞いこまれたままになってたものがいろいろと出てきたんです。まずは太夫座。太夫さんや三味線さんが座る舞台のようなものですけど、これが舞台の上に置かれたままになっていました。

また、舞台裏に木の箱がいくつか立て掛けてあったのですが、その中から襖絵が100枚ほど出てきて、組み合わせると舞台の背景画になりました。神戸大学の先生に調べていただいたら、襖絵が描かれたのは幕末から明治初期だろうと。で、その襖絵の下張りには古文書が使われていて、それが愛媛・大洲藩の紙だったんです。向こうで襖絵が描かれたのか、紙だけがこっちに来てたのか、そのあたりは何もわからないのですが。

 

出てきた襖絵を組み合わせるといくつかの舞台背景画になった。これを活用すればさらに迫力ある舞台がつくれそうだ。

 

中西さんの向こうに見えるのが太夫座。手前の破損していた部分は近所の建具屋さんが修理した。

 

―いろんな想像が膨らみますね。

そうなんです。舞台の下からはこの額が出てきました。ここの集落の人たちが自分たちで「宮討座」という劇団まで作って、三宮の生田の方で公演をやっていたようなんです。きっと農閑期に歌舞伎の練習をしていて、そこまでの情熱があったということだと思います。

「宮討座」の額。中西さんをはじめ、今もこの界隈に暮らす人たちの名字が多く見られるという。

 

裏面は嵐、市川、中村といった役名で記されている。たとえば、中西さんの先祖かもしれない中西市松さんは中村市蔵に。

 

―それにしても、舞台のあれこれが人知れず残されていたというのは何か理由があるんでしょうか。

この舞台の保存に関わっていた方はもう亡くなられた方が多いので、そういったものがどうしてそこにあったのか誰に聞いてもわからないんです。

そもそも歌舞伎舞台保存会は、天満神社の氏子の代表を兼ねてるんです。といいますか、氏子代表としての仕事が主で、夏祭りや秋祭りのことをやらなければいけない。舞台の方は北区の方から農村歌舞伎の上演会をやりますという話をいただいた時に、「どうぞ」と場所を貸すだけの意識が強かったものですから。

上谷上農村歌舞伎舞台の外観。鳥居があって天満神社へと続く参道でもあることがわかる。

 

農村歌舞伎舞台=拝殿の間を参道が通る割拝殿という形。この通路部分に板を敷き詰めると舞台に早変わりする。

 

―この農村歌舞伎舞台が茅葺きであることはどうでしょう。

昔、このあたりはほとんど茅葺き屋根で、実は、うちの家も茅葺きなんです。もう上にトタンをかぶせて、天井には新建材を張ってしまっているので、中でどうなってるかわかりませんけど。そういう家が多いと思います。

―茅葺きが当たり前の風景だったんですね。

そうです。茅葺き屋根は15~20年で葺き替えますが、この農村歌舞伎舞台の屋根もその費用の半分を神戸市と兵庫県に支えてもらって、もう半分は地元が負担なんです。そのために氏子で積み立てをしていて、それが結構な額。なのに、数年に1度、歌舞伎上演会に貸し出すだけというのももったいない話で。

―本当にそうですね。

やっぱり舞台は使ってこそ値打ちがあるもの。「床几回し」と呼ばれる場面転換装置もまだ十分使えますし、使うからこそメンテナンスや修理もすることになる。だから、もっといろんな形で活用していけたらいいかなと思っています。

舞台の上からは、他にだんじりも2基出てきたという。四次元ポケットのような収納力。

 

歌舞伎舞台(拝殿)と向かい合う本殿も茅葺き。この景色は「150年前からたぶん変わってないんじゃないか」と中西さん。

 

―すでに具体的なアイデアが何かありますか。

音を出すイベントやワークショップなど、歌舞伎にこだわらなくてもいいかもしれません。かつてやっていた「のど自慢大会」のようなことををやるのもいいかなと、地域おこし隊の方とも相談を進めているところです。

―楽しみですね。実現すれば、中西さんは何を歌いますか。

「憧れのハワイ航路」。若い人に向けるのもいいけど、まずはこの集落に暮らす70代とかでも知ってそうな曲で、みなさんにも喜んでもらいたいですね。

実は中西さん、昨年の「六甲丹生かぶき」に捕り手役として出演も。以来、役者としての稽古も続けている。

 

農村歌舞伎舞台の向こうに上谷上の集落が見えていた。